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LanikaiSandsのブログ

たいして興味もないことについて語っています

正義を語ることのあやうさ

正義:人間の社会的関係において実現されるべき究極的な価値。善と同義に用いられることもあるが,善が主として人間の個人的態度にかかわる道徳的な価値をさすのに対して,正義は人間の対他的関係の規律にかかわる法的な価値をさす。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

いうまでもないが、国や社会、組織によって正義は異なる。

アメリカの正義がロシアの正義であるとは限らないし、キリスト教圏の正義がイスラム教圏の正義であるはずもない。

ましてや韓国の正義を、日本に求めること、それ自体が無理筋なのだ。

www.huffingtonpost.jp

金:(提携関係にある日本の)毎日新聞で韓国に詳しい先輩から「似ていると思ってかかると大けがするよ」と忠告されました。日本では自分と他人の立場が違うことに緻密にこだわるけど、韓国では「正しいこと」は一つだけで、それを巡って争っている。それを互いに知らない。だから毎日が衝撃ですね。

日本は、かつて敗戦を通して、自らが信じてきた「正しいこと」が実は「正しくないこと」を実感した。結果として日本人は正義に対して常に懐疑的となり、正義を「ゴレンジャー」や「仮面ライダー」などの子供向けコンテンツに押し込めることで、正義について考えることを棚上げしてきた。

正義の味方と称する往年のヒーローは、社会の道徳や規律にあだなす「悪の手先」と対立することで自身のアイデンティティを確認するしかない。「悪の手先」がいなくなったヒーローたちが活躍する場は、せいぜい警察のイベントくらいしかない。それでも選挙カーの上で正義をがなりたてるよりはマシだ。

ワタミにもゼンショーにも、東芝にも正義はある。彼らは自分が「正しい」と信じているし、ましてや「悪」を成そうとは思っていない。思うはずがない。

「正義」を議論の中心に据えれば、どこかにかならず齟齬が生じる。ならばあえて「正義」を語らず、事実のみを淡々と積み上げてゆくほうが気が楽というものだろう。