LanikaiSandsのブログ

たいして興味もないことについて語っています

ハンティングを批難すべき理由


ハンティングは趣味でありスポーツであり、動物との命をかけた戦いである

とか、

ならば人間が牛や豚を殺す、日本人がイルカやクジラを殺すのはよいのか

とか、

人間は生きるためならば他の動物を殺して良い

とか、

人間が動物を食べるのは原罪である

とか、

動物の命を奪って生きるのだから食べるときは感謝しなければならない

とか、

どれもこれも、自分の中ではしっくりこないでいる。

平たく言えばこれら理屈は悉く人間側の解釈、人間本位のルールなのだ。人間本位のルールを唱えているからこそ様々な解釈が生まれる。厄介なのはこれらのルールはみな何かの思想や主義主張に多かれ少なかれ捕らわれていて、その思想や主義主張が聴く人の耳を塞ぎ、見る人の眼を曇らせているように見える。正しい判断を鈍らせているように見える。

人間に限らず、あらゆるものが何かを食べて生きている。犬や猫、ライオンやキリン、バッタやハエも何かを食べて命をつないでいる。

それら全ての生き物の営みを人間本位のルールで縛ったり、人間の崇高さをことさらに強調することは、私の本意ではない。

考えは未だまとまっていないが、あらゆる生命は「野生」とか「本能」とか生命本来の「行動原理」を内に秘めていて、それを経験や知識や知恵などで覆い隠している。もしかしたら食べるという行為は、内に秘められた行動原理が表出したものの一つなのではないか。そして、食べることを達成するための手段の一つが殺すという行為なのではないか。

翻って、ハンティングというのは生命のどんな行動原理に基づくのだろう。達成感、爽快感、征服欲を満たすことがハンティングの行動原理ならば、実は欲求として高尚で複雑な部類なのではないか。

高尚で複雑な欲求は代用が利く。理性で抑えることもできる。ハンティングが批難される理由、それはハンティングが野蛮な行為だからでも、食べないからでもなく、理性で抑えることのできる高尚で複雑な欲求だからなのではないか。

我慢できるし他のことでも気がまぎれるんだからそんなことすんなよ。である。